785年(延暦4)、西海への最短距離として淀川下流に三国川(神崎川)が開削された。淀川よりの分岐点を江口といい、西海への入口を河尻(大河尻)と呼んだ。都と西海との往来が盛んとなるにつれ舟泊まりとして繁栄した。当時の身分・階級社会の中にあって、ここばかりは貴賎を離れた唯一の交歓地点となり、種々の庶民的文化芸能を生み出した。西宮の傀儡子や遊女町の系譜も、この河尻にある。
執筆者: 渡辺久雄
カテゴリ: 地名(古代・海浜)