1742年(寛保2)5月26日 - 1805年(文化2)12月10日
尼崎藩松平氏3代目藩主。1767年(明和4)2月20日、家督を継いだ。1769年菟原〔うはら〕・武庫・八部〔やたべ〕のうち24か村を幕府に上知され、替え地を播磨国赤穂・多可・宍粟〔しそう〕郡のうちに与えられた。俳諧にすぐれ、俳名を亀文、一桜井と号した。師は谷素外。大阪の天満宮境内に、談林派の祖西山宗因の句碑を建立。江戸深川の尼崎藩下屋敷に芭蕉庵の碑を立てた。64歳で死去、江戸深川の霊岸寺に葬られた。法名は泰安院亨誉健順道長。
執筆者: 山下幸子
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