鎌倉時代から室町時代にあった荘園。同荘には興福寺末雀部〔ささべ〕寺領と京都建仁寺末清住院領とがあった。雀部寺は鎌倉時代の1207年(建永2)河内国通法寺に組み込まれており、「摂津国字雀部寺在寺領武庫郡東条(大島郷・雀部郷・浜田郷)」とあり、面積は79町5反大。清住院領浜田荘は1482年(文明14)ころには「浜田荘一円(号妙王)、同藻川橋賃並びに持地院念仏寺等(不知行)」とあり、浜田を流れる蓬川に架かる橋で通行料を取っていた。江戸時代に中国街道として整備される以前から、尼崎から西宮への主要な道がこの地を通っていたのである。
執筆者: 田中勇