海岸線(阪神電鉄)

かいがんせん(はんしんでんてつ)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  1924年(大正13)2月、宝塚-尼崎間を結び阪神本線にも乗り入れる計画の宝塚尼崎電気鉄道が阪神電鉄も出資して設立された。阪急電鉄ではこれに対抗して、早くも計画段階の1923年5月に宝塚-今津-尼崎-塚口-伊丹を循環線でつなぐ尼崎・西宮・宝塚循環電軌鉄道の特許申請を行なった。この循環電軌鉄道の今津-尼崎間路線は、甲子園の一帯を住宅地、スポーツ・レジャーランドとして開発する阪神電鉄の計画に重大な脅威となることが予想されたため、阪神側はさらに対抗措置として1923年10月、今津から南下して丸島築港計画の計画地から出屋敷にいたる路線の申請を行なった。競合の結果阪急の今津-尼崎路線が却下、1924年5月阪神電鉄今津出屋敷線が認可された。このうち出屋敷-東浜間1.2kmが尼崎海岸線の名称で1929年(昭和4)4月開業。その後延長されず、高洲-東浜間は地盤沈下のため1951年7月休止、1960年4月廃止。のち国道43号の建設にあたって国道工事事務所は交差する海岸線を撤去するこことし、阪神に補償金を支払うとともに尼崎センタープール前駅の常設化工事を補償工事として実施した。この結果、1962年12月海岸線は廃止され、通勤輸送はバスに替わった。

執筆者: 地域研究史料館

参考文献

  • 『阪神電気鉄道八十年史』 1985
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