消防組
しょうぼうぐみ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1894年(明治27)2月、従来の自治的消防組織体制から行政の手による消防の統一的運営に移行すべく、勅令により「消防組規則」が公布された。これを受けて同年5月、兵庫県は尼崎町など23町に消防組設置を指示した。同月、伊丹警察署尼崎分署が消防手を募集し、7月には50名からなる尼崎消防組が創設された。また、1901~1912年に市域各村でも消防組が設置された。
都市化の進展により火災が徐々に増加するのに対して、尼崎消防組は1899年9月に60名の増員、1912年5月にはさらに95名に増員、3部にわけて各部の担当区域を設定した。1916年(大正5)の市制施行により尼崎市消防組となり、1920年には3部から4部に増強、常置消防手も配置し常備消防屯所を南城内の尼崎警察署に設けた。人員の増強と並行してポンプ等の消防機器・設備も整備され、1924年5月にはドイツ製ポンプ自動車1台も導入、1927年(昭和2)には北城内の警察署構内に屯所を新設し、8月に移転した。1933年にはさらに、常備部消防手12名・第1~4部各30名をそれぞれ小頭2名ずつで統括し、全体を組頭・副組頭各1名が統括する体制とし、ポンプ自動車や通報用公衆電話の増設など、組織・設備の両面で体制が強化された。戦時体制づくりが進むなか消防機能も防空警備体制に組み込むべく、尼崎市消防組は1939年4月に防護団と統合されて警防団となった。
参考文献
- 『尼崎消防のあゆみ』 1986