部落改善事業
ぶらくかいぜんじぎょう
(清和会より転送)
(清和会より転送)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
被差別部落の劣悪な経済・生活などを改善するため、明治20年代から部落の有力者を中心とした部落改善事業が始まり、日露戦争後は行政側も改善事業に取り組むようになる。市域では明治40年代から青年会が被差別部落で結成されて部落改善の取り組みが始まり、以降は郡など行政主導のもと教育・衛生・勧業等の事業が進められた。政府の政策は、1918年(大正7)の米騒動のころから、部落外との融和を目指す融和政策へと転換し、水平社が結成された1922年以降はこれに対抗して政府側の融和団体がつくられていく。兵庫県では1923年7月27日・28日の地方改善協議会の場で兵庫県清和会が結成された。これを受けて武庫郡支部が1927年(昭和2)6月17日に、川辺郡支部も1929年までにはつくられ、市域では青年会場・共同浴場の建設、下水道の改修や就学就業の援助、各種講習・講演会等の事業が実施された。戦時体制下には融和事業も戦争遂行に組み入れられ、1941年6月融和事業は同和事業と改称、中央融和事業協会は同和奉公会に改組、清和会も同和奉公会兵庫県本部となった。
参考文献
- 『尼崎部落解放史』本編 1988 尼崎同和問題啓発促進協会