源満仲
みなもとのみつなか
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
平安中期の武将で多田荘の開発者。多田満仲と通称された。清和源氏、経基の子。摂津はじめ各国の受領を歴任、また藤原氏北家に近侍し、969年(安和2)橘繁信・藤原千晴の謀反を密告、これが安和の変に発展した。このころから多田盆地(現川西市)の開発に着手し、はじめて武士団としての本拠をすえた。多田が「源氏発祥の地」といわれるゆえんである。970年(天禄元)多田院を開創、986年(寛和2)には多田で出家し、多田新発意〔しぼち〕)といわれた。出家の様子は「今昔物語」巻19にくわしい。没後多田院に葬られ、廟所が営まれた。多田一帯には、美女丸伝説など、満仲にまつわる伝承が多い。
参考文献
- 川西市史『かわにし』第1巻 1974