潮江
小田地区の大字。市域中心部やや東に位置する。猪名庄絵図の記す荘域の多くが潮江の村域にあたり、猪名庄遺跡もある。海岸地帯に堤防を築いてつくられた猪名荘には海に関連する地名が多く、同絵図にも条里の坪地名として塩垂田・大塩田・上江田・下江田・入江田・細江田が記されており、この「塩」と「江」が地名の由来とされている(以上、尼崎歴史研究会「東大寺領猪名庄絵図の地名について」(『地域史研究』第17巻第3号)。塩江と記す史料もある。史料上の初見は1250年(建長2)「九条道家処分状」(九条家文書/『尼崎市史』第4巻)で潮江庄とある。戦国時代にはしばしば戦乱の地となった。
近世には村の大部が旗本滝川氏(征詮系)の知行所で、小部ははじめ幕府領、1617年(元和3)尼崎藩領、1643年尼崎藩から分知された旗本青山氏(幸通系)の知行所となり、1676年(延宝4)さらにその大部が青山亀之丞に分知された。亀之丞分知分は1677年以降幕府領もしくは主として大坂城代領・京都所司代領、分知されなかった極小部は明治まで幸通系知行所のままであった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に860.915石、「元禄郷帳」に855.233石、「天保郷帳」に874.085石とある。大井組に属した。氏神は素盞嗚神社(近世には牛頭天王社)。ほかに糺〔ただす〕神社(近世には糺御前社)があったが1909年(明治42)素盞嗚神社に合祀された。寺院は浄土真宗本願寺派教専寺と金蓮寺。
1889年(明治22)以降は小田村、1936年(昭和11)以降は尼崎市の大字となった。1874年(明治7)には村域の南に沿って官設鉄道が敷設され、南に隣接する長洲村地内には神崎ステーション(現JR尼崎駅)が開設、西には福知山線が通過しており、これらに囲まれた西部は1918年(大正7)設立のキリンビール神崎工場をはじめ積水化学・日本スピンドル製造などの立地する工場地帯となっている。1981・1983年の住居表示により潮江となったほか、一部が久々知西町・浜・次屋・下坂部となった。