為奈真人
いなのまひと
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
為奈は猪名・威奈・偉那などとも記す。「日本書紀」は宣化天皇と皇后の橘仲皇女〔たちばなのなかつみこ〕との間に生まれた上殖葉皇子〔かみつえのはのみこ〕の後裔とし、「古事記」は宣化天皇と川内之若子比売〔こうちのわくごひめ〕との間に生まれた恵波〔えは〕王の後裔とする。上殖葉と恵波とは表記は異なるが、同一人物であろう。これに対して「新撰姓氏録」は、宣化天皇の皇子火焔王の後裔としている。このうち最後の火焔王の後裔とする説が事実に近いと思われる。為奈は猪名川下流域の地名のイナによってつけられた氏名〔うじな〕であり、その本拠は河辺郡にあったと思われる。はじめの公〔きみ〕の姓〔かばね〕を与えられたが、684年(天武13)に八色〔やくさ〕の姓が定められたさい、そのうちの第1等の姓である真人を賜った。同じ火焔王を祖とする氏族に椎田君・川原公がある。為奈氏は7世紀の後半から8世紀にかけて中流貴族として活躍したが、平安時代に入るとその勢力は衰退したようである。
参考文献
- 長山泰孝「猪名県と為奈真人」『地域史研究』第2巻第2号 1972