為奈郷
いなのさと
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
河辺郡の管轄8郷の一つ。「和名類聚抄」には刊本・高山寺本ともに「為奈郷」とみえる。大和政権の直轄領と考えられる。「猪名県」(日本書紀、仁徳天皇38年7月の条)がこの地域を中心に置かれていたと考えられるが、県の範囲は尼崎市域の北部から猪名川上流に及ぶらしい。為奈郷はそのうちでも尼崎市域に位置していたと思われる。
猪名県は猪名県主が管理し、その下に佐伯部や猪名部などが配置されていたので、その後もこれらの氏族が当郷付近に蟠踞していたと思われる。また、皇別氏族とされる為奈真人(公)もここに居住していたと思われる。為奈郷は713年(霊亀元)以後の国郡郷里制または国郡郷制にもとづくものであるが、河辺郡が701年(大宝元)以前に成立していたと考えられる(続日本紀、和銅6年9月の条)ことや、為奈郷周辺の上記のような事情から考えて国郡里制が実施されていた大宝令成立のころには存在した可能性がある。