熊野神社

くまのじんじゃ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  市域では西難波杭瀬若王寺に鎮座する神社。祭神は伊奘冊尊〔いざなみのみこと〕、素盞嗚尊〔すさのおのみこと〕、応神天皇、天児屋根尊〔あめのこやねのみこと〕、稲荷大神など。

  和歌山県東牟婁〔むろ〕郡に鎮座する熊野三山(本宮・新宮・那智)の信仰が戦国期ころに尼崎に伝播していたことは、1602年(慶長7)3月6日付の「旦那売券」(橋爪文書)に「一津之国尼カ崎并西之宮一円者、我等重代相伝之旦那ニ而候ヘ共」と見えている。その後1692年(元禄5)の「寺社御改付込写帳」(岡本紀士生文書)には、若王寺の熊野大神社が「熊野権現」と記されている。元禄年間の『摂陽群談』は、西難波の権現社が行基の開いた摂津国四十九院に勧請〔かんじょう〕された熊野社の一つであった伝承を記す。一説には紀伊・大和から摂津尼崎方面への航路が、往時の熊野詣の帰路に用いられ、海路の熊野の一王子として発祥したことが指摘される。杭瀬の熊野社は1838年(天保9)「巡見使通行御用の留」(『尼崎市史』第6巻)に「熊野新権現」と記されている。社伝によれば、17世紀元和年間・1615~1624)に本殿が造営されたと伝えられ、境内には樹齢千年という楠木が繁る。境内の右手に「子安の池」があり、この池の水を飲めば安産になるという伝承が伝えられている。また現在4年に1度、例大祭日に氏子の稚児行列が盛大に行なわれる。若王寺の熊野社は雨乞いに効験があり、かつては雨を求める農民が同社に群参したという。難波熊野神社の末社である摂津難波稲荷は、通称「願の稲荷、願掛け稲荷」として、当地の人びとに篤く信仰されている。

執筆者: 豊島修

参考文献

  • 『尼崎志』第2篇 1931 尼崎市
  • 『熊野那智大社文書』第5 1977 熊野那智大社
  • 豊島修「氏神熊野神社と近世熊野信仰-摂津国尼崎の熊野神社を事例として-」『地域史研究』第28巻第1号 1998
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