尼崎教会
(牧会活動事件より転送)
尼崎では1875年(明治8)以来、神戸の宣教師や西宮教会教会員らによる伝道が行なわれていた。1885年5月にプロテスタントの大阪浪花教会の会員が尼崎で伝道を行ない、以降、同教会の伝道地となった。1886年3月中在家町の家屋を借りて尼崎講義所を設置、その後新築または借家とたびたび移転した模様である。1892年10月には小森純一ら16名が講義所を浪花教会傘下の伝道教会に昇格させた。1896年3月18日には伝道師内田尚長が赴任、10月17日をもって独立の尼崎教会となった。この間、キリスト教反対の演説や集会の妨害、壮士の乱入などの迫害があったという。また1896年以降の遊廓設置問題においては反対運動の中心であった。1905年10月には宮町35番地に教会堂を新築、1922年(大正11)7月には東御園〔みその〕町41番地に移転し、1945年(昭和20)6月1日の空襲で焼失した。1916年には信徒81名求道者12名、1938年には会員数170名となっている。なお1941年に日本のプロテスタント諸派が合同して日本基督教団となったため、それまで日本組合教会に属していた尼崎教会も日本基督教団尼崎教会となった。戦後は、1948年東桜木町1番地の旧小森邸を改修して教会堂を再建、1974年に尼崎信用金庫の仲介で東難波〔なにわ〕町3丁目に新築移転し現在に至っている。
1970年(昭和45)11月10日、兵庫県立尼崎高等学校の学園紛争に関与した高校生2人を保護したことが犯人蔵匿にあたるとして、尼崎教会の種谷(たねたに)俊一牧師と龍野教会の鈴木昭吾牧師が逮捕された。同年10月18日に高校封鎖未遂事件を起こした2人が種谷俊一牧師に救いを求め、牧師は説諭しつつ反省を促すため2人を龍野教会に預けた(2人は龍野滞在後尼崎に戻り警察に出頭)。鈴木牧師が起訴猶予となる一方、種谷牧師は書類送検・略式命令による罰金刑となり、これを不服として裁判を要請。種谷牧師の行為が、牧会(ぼっかい、牧師による信徒の魂への配慮や信徒指導)としての正当な行為であるか否かを問う刑事裁判となった。1971年3月には「種谷牧師裁判を支援する会」が結成され、全国の教会関係者が支援活動を行なった。5年に及ぶ裁判の後、1975年2月20日、神戸簡易裁判所で無罪判決が出された。「牧会活動事件」と呼ばれ、信教の自由に関する重要な判例と評価されている。
参考文献
- 富田重義・前川佐雄『尼崎市現勢史』 1916 土井源友堂
- 小島修『尼崎教会六十年』 1956 日本基督教団尼崎教会
- 『80年記念誌』 1977 日本基督教団尼崎教会
- 『尼崎教会100年のあゆみ 創立100周年記念誌』 1996 日本キリスト教団尼崎教会
- 『国権と良心 種谷牧師裁判の軌跡』 1975 新教出版社