今日は何の日(1月20日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 守護代薬師寺長盛の命令で生島の浜郷名主中が、前年分の年貢5貫文を大乗院に納めた。(1489年)
- 中在家町の田中七平は、当年の清酒醸造高252石に加えて50石余の増石を尼崎の酒造大行司および戸長を経て兵庫県に出願した。(1877年)
- 尼崎紡績・旭硝子・阪神電鉄など尼崎町内主要企業が出席して、前年(1911年)秋に発足した尼崎工業者共和会の発会式が行なわれた。(1912年)
- 阪神電鉄が伝法線大物-伝法間の営業を開始した。(1924年)
- 社会民衆党第2区支部発会式が尼崎市立図書館で開かれた。(1927年)
- 尼崎製鋼所が中浜新田に設けた新設工場の開業式が行なわれた。(1933年)
- 西高洲町の大谷重工業尼崎工場に大阪俘虜収容所(捕虜収容所)尼崎分所が開設された。(1943年)
- GHQの指令により、特殊航空兵器・日本内燃機・住友プロペラが第1次賠償工場に指定された。(1946年)
- 関西労災病院が稲葉荘に開院した。(1953年)
- 中島川漏水について、宮田良雄尼崎市長が直接兵庫県庁におもむき、兵庫県知事に対策を要請した(緊急工事により2月4日漏水停止)。(1995年)