今日は何の日(10月10日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 幕府は大山崎八幡宮の荏胡麻等の諸関所津料を院宣のとおり免除するよう命じた。(1314年)
- 篠原実長・長重が本興寺に禁制を下した。(1570年)
- 海防掛勘定奉行の川路聖謨が、大阪湾沿岸巡視の途中尼崎に宿泊した。(1855年)
- 尼崎町が5月4日に開設した赤痢・コレラの予防事務所が閉鎖された。開設から閉鎖までの間に発生したコレラ患者は134人、うち死亡者101人であった。(1895年)
- 三収組紡績は、紡績連合会に廃業・退会届を提出し、承認された。(1900年)
- この日までに都市疎開事業による疎開人口は2万7,000人余り、建物疎開による空地は7万170坪にのぼった(疎開)。(1944年)
- 武田化学薬品が和光純薬と改称した。(1947年)
- 尼崎自由労働組合が結成された。(1949年)
- 従来の保護課を改組して、尼崎市福祉事務所が設置された。(1951年)
- 尼崎市は、市の公文書館である市立地域研究史料館と、文化財行政を所管する市立文化財収蔵庫を統合し、尼崎高等女学校校舎(1938年竣工)を全面改修して市立歴史博物館を新設した。(2020年)