今日は何の日(10月5日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 西田新五郎助家が浜郷代官職の請文を大乗院に出し、翌年以降の年貢25貫文を請負った。(1482年)
- 将軍足利義昭が本興寺に禁制を下した。(1568年)
- 幕府測量方の伊能忠敬の一行が、尼崎町から西宮町に向けて出発した。(1805年)
- 尼崎藩は、従来から通用している泉屋銀札に城下の商人直場屋〔ねばや〕ほか2人の名前を加えて使用すると触れた。(1838年)
- 阪神電鉄が、尼崎町・大庄村など沿線町村で電灯・電力供給事業を開始した(電力産業)。(1908年)
- 尼崎市による東・西難波を除く全市域を区域とする水道の敷設が内務省により認可された。(1916年)
- 社会民衆党が阪神電灯電力値下期成同盟会(阪神沿線電灯料値下期成同盟会と記す史料もある)の結成大会を尼崎市立図書館で開催した(電灯料金値下げ運動)。(1928年)
- 阪神急行電鉄神戸線に園田駅が設置された。(1936年)
- 第1回の尼崎市教育委員選挙が行なわれた。(1952年)
- 尼崎市立教育研究所が難波小学校校内から南城内の独立施設に移転した。新施設は、同地から転出する市立尼崎高等学校の校内に新築された済美館(せいびかん、同窓会館)の譲渡を受け転用したものであった。(1966年)