今日は何の日(11月1日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 大坂冬の陣に際し、徳川家康は大坂方を経済封鎖するため小豆島およびその近辺3か国に塩・薪・魚類などを尼崎・堺へ輸送するよう命じた。(1614年)
- 尼崎城下の貴布禰社で伊勢ガ浜染五郎の相撲があり、城下番町は城下惣代たちのさじきを取り金200疋を負担した。(1870年)
- 東新田村に東新小学が開設された。(1873年)
- 小墾田・衛正の2簡易小学校を合併して小田尋常小学校(現市立下坂部小学校)が設置され、衛正校(現市立長洲小学校)は分教場となった。(1891年)
- 尼崎町会は大阪鉄工所に対する町税特別免除を決議した。(1905年)
- 尼崎銀行が三十四銀行に合併された。(1917年)
- 古河電気工業が大庄村道意新田に新たに建設した関西伸銅工場が完成し、尼崎伸銅所と大阪伸銅所を統合して新たに大阪伸銅所が設置された。(1938年)
- 日本板硝子尼崎工場が住友化工材工業に譲渡された。(1944年)
- 尼崎市教育委員会が発足した。(1952年)
- 市立公民館が昭和通2丁目の市立図書館内から難波四条通(現西難波町6丁目)に新築移転し開館した。(1961年)
- 兵庫県立西武庫公園の交通公園が開園した。交通安全知識を学ぶ国内初の公園施設であった。(1963年)
- 尼崎市は「公害に係る健康被害の救済に関する特別措置法」の対象地域指定に先立って市独自の「大気汚染に係る健康被害の救済措置に関する要綱」を設け、大気汚染による健康被害者に医療費・医療手当を支給する公害医療救済制度を発足させた。(1970年)
- 尼崎市が休日・夜間急患対策施設として尼崎市医師会の協力を得て設置した尼崎医療センターが、水堂町3丁目にオープンした。(1974年)
- 尼崎市立消費生活センターが、東難波町から市立勤労婦人センター内に移転オープンした。(1985年)
- 韓国・朝鮮関係図書専門の私設図書館錦繍文庫が名神町に開設された。(1987年)
- 尼崎市は2016年を目標年次とする長期計画として、国道43号以南の臨海部開発整備指針「尼崎臨海地域整備基本計画」を策定した。(1995年)
- 尼崎大気汚染公害訴訟の和解条項にもとづき、利用料金調整により阪神高速神戸線から同湾岸線に貨物車などを誘導する「環境ロードプライシング」の試行が始まった。(2001年)
- 尼崎市は、北部浄化センターから兵庫県が管理する兵庫東流域下水広域処理場への下水汚泥の圧送を開始した。この結果、市内下水汚泥が全て同処理場で処理されることになった。(2005年)
- 独自の描画法により世界的な評価を得た尼崎市出身の前衛画家・白髪一雄(しらがかずお)の功績を称え、画業を広く紹介することを目的として、尼崎市総合文化センター美術ホールフロアー内に白髪一雄記念室が開設された。(2013年)
- 尼崎市と兵庫県警察尼崎南警察署は、神田南通3丁目所在の特殊飲食街(特飲街、売春街)「かんなみ新地」(旧称「パーク」)の組合である「かんなみ新地組合」加盟店に対して、風俗営業法に基づき営業中止を求める警告を連名で出した。これを受けて11月23日までに同組合は解散し、売春街「かんなみ新地」は消滅した。(2021年)