今日は何の日(11月20日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- このころ、東大寺領猪名荘の田地は85町余に達していた。(950年)
- 東大寺公文所は、長洲浜の住人が鴨社供祭人となっても数百家の在家と田地は同寺領なので、在家に寺役を負担させるべきであると主張した。(1127年)
- 関白一条兼良の孫一条政房は、京都から兵庫へ行く途中で尼崎の東福寺門徒寺南朋庵に宿泊した。(1468年)
- 府県統合の布告により尼崎県・小泉県・額田県(半原県が改称)が兵庫県に統合され、摂津国西部5郡一円を管轄する第2次兵庫県が成立した。(1871年)
- 辰巳橋が工費を兵庫県と大阪府で折半して新設された。(1905年)
- 日本リーバ・ブラザーズが神戸瓦斯に買収され大日本石鹸と改称した。(1925年)
- 尼崎市は戦災者に民間アパートの斡旋を開始した。(1945年)
- 八木林作市長が公職追放となり辞職し、川島伝三助役が市長代理を務めることになった。(1946年)
- 尼崎市長選挙が行なわれ、篠田隆義が初当選した。(1966年)
- 1989年まで毎年1回、尼崎市と川崎市で交互に開催された尼崎・川崎まちづくりシンポジウムの第1回「都市の再生~まち・ひと・魅力」が、尼崎市総合文化センターを会場として開催された。(1987年)
- 尼崎市長選挙が行なわれ、宮田良雄が初当選した。(1994年)
- 尼崎市長選挙が行なわれ、稲村市政の継承を訴えた元尼崎市教育長の松本眞〔まつもとしん〕が初当選した。(2022年)