今日は何の日(12月24日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 尼崎藩が、広田・津門・今津3か村の御救銀札の発行許可と領内通用の促進を触れた。(1750年)
- 尼崎藩主松平忠名が没した。(1766年)
- 岡部藩摂津領の農民が、藩の借用銀証文に郷印を強要した桜井谷陣屋の岡部藩郡奉行を襲撃する事件が起こった。(1857年)
- 18か村騒擾の主謀者として入牢取調べをうけていた善法寺・小中島両村の5人が無罪放免され、また村預け謹慎を命じられていた小中島・穴太・善法寺各村の3人も釈放された(明治2年川辺郡一揆)。(1869年)
- 城下惣町惣代中は、鉄砲組扶持米の負担分を支払わないとして三反田村吉井文右衛門から尼崎藩に訴えられた。(1870年)
- 兵庫県の地租改正局は、武庫地区の西昆陽村など12か村に改正地価の再調査を急ぐよう通達した。(1875年)
- 尼崎町会は、川辺郡の大阪府への管轄替え実現のための全行動を理事者に一任することを全会一致で議決した。(1898年)
- 日本スピンドルのリング磨部職工が単価値上げを要求し、さらに11月7日のロシア革命記念日にデモを行ない指導者が11月8日に尼崎警察署に検挙されたことに端を発した争議が、兵庫県調停課と警察の調停によりデモ責任者など56人の解雇を承認する形で終結した。(1930年)
- 市営最初の園田競馬がこの日から6日間開催された。(1948年)
- 朝鮮人学童を受入れるための分校の第1校目として、武庫小学校守部分校が開設された(朝鮮人学校)。(1949年)
- 尼崎市は1959年施行の新下水道法に対応した新たな尼崎市下水道条例を公布し、1958年に定めた旧下水道条例を廃止した。(1960年)
- 尼崎市は「尼崎市住環境整備条例」を公布・一部施行した。(1984年)
- 兵庫県が独自の南海トラフ巨大地震津波浸水想定図を公表した。この想定による尼崎市の最高津波水位は4.0m、最短到達時間は117分、最悪ケースの浸水被害面積981ヘクタール(市域の約5分の1)と、従来の国の想定による210ヘクタールと比較して約4.7倍となった。市はこの想定結果を「尼崎市地域防災計画」に反映し、津波対策を進めていくと発表した。(2013年)