今日は何の日(12月5日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 伊丹の馬借問屋・馬年寄は、宿駅ではない尼崎で中長洲村儀右衛門が牛札を売って多くの荷を運ばせること、伊丹の荷牛馬から口銭を取ることの停止を大坂町奉行所に訴えた。(1796年)
- 尼崎藩は替え地として与えられた村々の受取り手続きをすませ、続いて7日に公収された村々の引渡しを完了した。(1828年)
- 善法寺・小中島など新政府直轄領の18か村の農民1,000人ばかりが、竹槍をもって上坂部村の西正寺に押しかけ、貢租の半減を要求した(明治2年川辺郡一揆)。(1869年)
- 尼ヶ崎郵便取扱所が、渡辺治平宅を仮設所として開設された。(1871年)
- 人民戦線運動取締りの一環として現尼崎市域の労働運動・農民運動活動家らが治安維持法違反の容疑で検挙された。(1936年)
- 杭瀬で春日庄次郎らが日本共産主義者団を結成した。(1937年)
- 市は全国的な米の減収に対する応急策として家庭用飯米の登録配給制を実施した。(1940年)
- 「大東亜戦争一周年記念行事」として、尼崎市は陸軍省派遣の中佐を講師とする500人参加の講演会を尼崎高等女学校において、また市部課長出席の記念座談会を市役所において開催した。(1942年)
- 市民館(希望館)が、生活保護法にもとづく厚生施設として元浜町1丁目に新築、再開された。(1952年)
- 尼崎市国際交流協会が設立された。(1979年)