今日は何の日(2月28日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 摂津国守護代は、東寺塔諸堂造営料棟別銭のうち浜崎荘・神崎分1貫250文を勝尾寺へ送った。(1284年)
- 織田信長の軍勢3,000人余が尼崎に矢銭を賦課するため別所に陣取った。(1569年)
- 泉屋利兵衛家初代自休が尼崎藩の掛屋に登用された。(1720年)
- 大鳥圭介が尼崎藩領の赤穂郡細念村で生まれた。(1832年)
- 名塩村の村役人と紙漉屋年番行司は、尼崎藩交易所の名塩紙専売化による差支えの有無問い糺しに対し、過去の専売化失敗例をあげて差支える旨の口上書を提出した(専売制)。(1850年)
- 東亜セメントの職工が15パーセント賃下げと労働時間延長に反対してストを決議した。(1921年)
- 尼崎第三尋常小学校(旧開明小学校)の鉄筋コンクリート校舎が竣工した(現尼崎市役所開明庁舎)。(1937年)
- 尼崎市職員組合が結成された。(1946年)
- 五月会を発展的に解消する組織として尼崎市同和事業協議会が設立された。(1953年)
- 尼崎製鈑が工場を閉鎖した。(1979年)
- 尼崎市は、地球温暖化をはじめとする新たな環境課題に対応するため、従来市内企業および兵庫県と結んできた「公害防止協定」を抜本的に見直し「環境保全協定」と名称を変更し、民間企業41社(42工場)および兵庫県との間において第4次公害防止協定を一部改定する第5次環境保全協定を締結した。(2006年)
- 神田北通7丁目のトポス尼崎店が閉店した。(2010年)
- 喫茶店「珈琲の青山」を運営し、塚口町に本社が所在する(株)青山珈琲が、全11店舗(兵庫4・大阪4・奈良2・広島1)を閉鎖した。同社は喫茶店事業から撤退し、不動産事業は継続する。(2014年)
- 原爆被爆体験の語り部活動を1999年以来続けている尼崎市原爆被害者の会会員の体験証言を収録したDVD「忘れてはならない夏がある 原爆を見た日」が制作・公表された。(2015年)