今日は何の日(2月3日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 東大寺は、同寺領長洲荘内の教念法師開発田を没収して同寺の支配とし、興福寺など他寺を介入させないよう、朝廷に訴えた。(1314年)
- 瓦林正頼が城主である越水城が落城した。(1520年)
- 尼崎藩は、出屋敷の茶屋杢左衛門銀札の引替えを2月6日から開始すると触れた。(1749年)
- 尼崎藩は、それまで城下宮町の真如庵でだけ行なっていた小児種痘を、今後村々へも医師田中周祐・億川信斉を派遣して行なうこととした。(1868年)
- 阪神国道沿線市町村の長(尼崎市長・大庄村長・武庫村長・立花村長・園田村長を含む)や議員を会員とする新阪神国道期成会が結成された(第二阪神国道)。(1941年)
- 大覚寺文書に1840年(天保11)に奉納されたいう記録があり、その後途絶えていた大覚寺身振狂言が復活し、節分会に奉納された。(1953年)
- 尼崎市は尼崎市長を本部長とする災害復興本部を設置した。(1995年)