今日は何の日(3月11日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 城下東町の小前の者が、八百屋・果物屋を襲うなどして群集し、4、5人が召し取られた。(1837年)
- 日露戦争の戦費調達国債募集に町では総戸数の2割以上の725人から36万円余の応募があった。(1904年)
- 兵庫県が尼崎町会の家屋税施行意見書をいれ、県税戸数割にかえて家屋税を施行したのにともない、町税も戸数割から家屋割に変更された。(1912年)
- 尼崎共立銀行が山口銀行に吸収され、別所村の共立銀行本店は山口銀行尼崎支店となった。(1929年)
- 武川ゴムで請負単価の値下げを発端とする労働争議が始まった(武川ゴム争議)。(1931年)
- 14時46分、三陸沖を震源とするマグニチュード(Mw,モーメントマグニチュード)9.0の巨大地震「東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)」が発生し、宮城県北部の震度7をはじめ東日本各地で大きな揺れを記録、加えて東北地方から関東地方の太平洋岸にかけて巨大津波(最大の地点で波高10m以上、最大遡上高40m以上)が押し寄せ、被災地全域の死者・行方不明合計1万8千人以上という歴史的な大規模災害となった。尼崎市は震災当日に兵庫県からの指示を受けて緊急消防援助隊を派遣したほか、水道局が日本水道協会から応援要請を受けて応急給水の応援派遣を行ったのをはじめ、各方面・分野で官民ともに被災地支援活動を実施した。市としては、とくに関西広域連合の兵庫県からの要請を受けて、宮城県気仙沼市への長期的・継続的支援を重点的に実施した。(2011年)
- 尼崎大気汚染公害訴訟の和解条項にもとづいて、同訴訟原告団が国及び阪神高速道路株式会社(阪神高速道路公団のあとを引き継いだ会社組織)と協議を行なう連絡会の第46回において、原告団が協議終結を提案し国側も同意した。(2013年)
- 河辺郡勅旨田の開墾費用として巡察使が摂津国の剰稲2万8,300束を支出した。(830年)