今日は何の日(3月18日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 足利義詮は、東福寺造営料木および年貢の関米・河手免除を諸関に触れるよう赤松範資に命令した。(1355年)
- 川辺郡長が郡内の国債募集の好成績について管内有力者に感謝状を贈った。(1904年)
- 尼崎郵便局電話分室が完成し、電話の交換方式を共電式に変更した。(1928年)
- 大日本婦人会尼崎支部が結成された。(1942年)
- 日本電気産業労働組合協議会(略称・電産)の兵庫県内支部が賃金スライド制導入などを求めて一斉にストライキを行ない、尼崎の火力3分会(尼崎第一・第二発電所、尼崎東発電所)がこれに加わった。尼崎の3分会はこの日を含めて3月中に5波に及ぶ電源ストを実施した。(1950年)
- 尼崎市国民健康保険条例が公布された。(1957年)
- 伊丹飛行場で占領軍の基地返還式と大阪空港の開港式が催された。(1958年)
- 兵庫県内公立高等学校の入試が、新たに導入された兵庫方式(中学校3年間の調査書を主資料とし学力等検査を補助資料とする)により実施された。(1968年)
- 神田北通のスーパー長崎屋尼崎店で、放火が疑われる火災が発生し、死者15人、負傷者6人の大惨事となった。元店長ら2人が防火対策を怠ったとして業務上過失致死傷罪に問われ、1993年に神戸地方裁判所が有罪判決を下した。(1990年)