今日は何の日(3月27日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 執事師直は、興福寺修造料であった神崎・渡辺の升米料および兵庫島目銭を西大寺に与えるよう摂津国守護赤松範資に命じた。(1339年)
- 織田信長は荒木村重を摂津守に任じ、摂津国を宛てがった。(1573年)
- 大坂の上荷船・茶船仲間は、尼崎藩が大坂で購入した米を尼崎渡海船に直積みさせるのは定法に反すると大坂町奉行所に訴えた。(1734年)
- 尼崎藩は、生島井組内で生島4か村が常松村へ毎年渡している米は井親としての井料ではなく急水知らせ料であると裁定し、5か村は請書を提出した(生島井組の井親争論)。(1768年)
- 尼崎藩は、京都禁裏御用を勤める生魚問屋手平屋清七の願いにより手平屋・直場屋以外の問屋が明石の「生」印をつけた魚船と取引きすることを禁じた。(1867年)
- 川辺郡長は、尼崎港修築費用の3割町費負担の予算化を尼崎町会に命じた。(1892年)
- 尼崎工業会と総同盟尼崎地方協議会が提携して尼崎産業復興会議を結成し、生産危機突破運動、経営民主化、勤労者生活確保などを基本とする規約を制定した。(1947年)
- 私鉄兵庫ブロック5社が全面ストを実施した。(1958年)
- 春の選抜高等学校野球大会(甲子園)初出場となる兵庫県立尼崎西高等学校野球部が第41回大会の1回戦に出場し、富山県立富山北部高等学校を1対0のスコアで下した。(1969年)
- 白井市長が公約していた「ガラス張りの市長室」設置費を削除した新年度予算案を尼崎市議会が可決した。(2003年)
- 労災認定対象外の石綿による健康被害を救済する「石綿による健康被害の救済に関する法律」(石綿健康被害救済法)が施行された。(2006年)
- 尼崎市は、市所蔵の「天龍寺関係文書」が市指定文化財に指定した。(2012年)
- 尼崎市は、興禅寺所蔵の木像達磨大師坐像を市指定文化財に指定した。(2013年)
- 尼崎市は、浜田の「寺岡家文書」(尼崎市立地域研究史料館寄託、当時)のうち4点と市所蔵の「豊臣秀吉朱印状(建部寿得軒他二名宛)」を、市指定文化財に指定した。(2014年)
- 尼崎市は、女性の雇用・就労を公労使で応援する兵庫県内初の協定として、兵庫労働局・兵庫県阪神南県民センター・連合兵庫尼崎地域協議会・尼崎経営者協会との間に「尼崎地域の雇用・就労における女性活躍推進五者連携協定」を締結した。(2019年)