今日は何の日(4月20日)

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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  • 北朝の後光厳天皇が、野間田その他の醍醐寺蓮蔵院・報恩院領を安堵した。(1360年
  • 織田信長は、京都曇華院領潮江荘散在と難波村の代官伊丹親興に、前年分年貢の寺納督促を命じた。(1569年
  • 城下の魚積仲間は、仲間の二本一屋が生魚問屋同様の商売や沖買いをして生魚問屋との取引きを停止されたことで、魚問屋若仲衆へ詫び証文を入れた。(1848年
  • 川辺郡は郡教育会および郡教育共進会の規則を布達した。その後5月1日第1回郡教育会が郡役所で開かれた。(1882年
  • 小田村長に梶原綱太郎が就任した。(1908年
  • 阪神間の資本家が吹田町-尼崎町間の北大阪電気鉄道創立を出願した。(1915年
  • 市立尼崎中学校が、尼崎尋常高等小学校校舎の一部を使用して授業を開始した。(1923年
  • 宝塚有馬自動車が運行するバス路線尼崎線が産業道路経由(伊丹本町-塚口-国道玉江橋間)に変更された。(1934年
  • 字山ノ下(現常光寺1丁目)の市立尼崎病院(伝染病院)を増築し、内科・外科など各診療科目を備える市立市民病院が開院し、合わせて同施設に大阪帝国大学臨時附属医学専門部臨床教室が開設された。(1942年
  • 消防団令公布により警防団が廃止され、新たに中央・小田・大庄・立花・武庫・園田の6消防団が組織された。(1947年
  • 警察予備隊第3管区総監部が誘致に応じて伊丹市に移駐した。(1951年
  • 防潮堤閘門の開通式が行なわれた。(1954年
  • 尼崎工業経営者協会は尼崎経営者協会と改称した。(1961年
  • 国・阪神高速道路公団および尼崎市内企業を含む10社を被告とする西淀川公害訴訟の第1次提訴が行なわれた。(1978年
  • 阪神杭瀬駅高架下のショッピングプラザ「駅の街杭瀬」が開業した。(1979年
  • 尼崎市総合文化センター内に事務局を置き、尼崎市の芸術・文化の発展を目指す尼崎芸術文化協会が発足した。(1981年
  • 本興寺の委嘱を受けた研究者が中世・近世の本興寺文書すべてを翻刻する事業の最初の成果物として、『本興寺文書』第1巻・第2巻(清文堂出版)が刊行された。(2013年
  • 尼崎市は、尼崎市新型コロナウイルスに関する事業所向け臨時相談窓口を、尼崎市中小企業センター(昭和通2丁目)1階多目的ホールに開設した。(2020年
  • 河辺郡為奈野が詔によって遊猟の地とされた。(859年
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