今日は何の日(4月27日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
12 件中 1 - 12 件目
- 後醍醐天皇は神崎・兵庫・渡辺三カ津の商船目銭を諸社の神人供祭人らの船が自由に拒否することを停止し、三カ津の関務を8年年季で東大寺に与える綸旨を幕府に下した。(1327年)
- 幕府が正保の国絵図改正を全国に命令した。(1697年)
- 摂津・河内・和泉3か国の1,460か村の種物値段の引立てと在々絞り油屋による油の小売許可の訴えに対して、大坂町奉行所は菜種・綿実の絞り油屋仲間・油仲買仲間に返答するよう命令した(国訴)。(1824年)
- 浜松藩領摂河村々は、藩債の返還未了を理由に、飛び地の半分だけでも水野氏領のまま残るようにしてもらいたいと藩の郡方役所に願い出た。(1830年)
- 園田村長に小林由が就任した。(1904年)
- 川辺郡長は、尼崎町の財政に臨時的歳出が多いことを理由として同町の特別税の新設申請を差し戻した。(1911年)
- 尼崎市議会に財政再建特別委員会が設置された。(1956年)
- 尼崎市議会議員選挙が実施された。(1975年)
- 市立青少年センターに新たに設けられた「こども科学ホール」がオープンした。(1986年)
- 尼崎市は阪神・淡路大震災からの震災復興基本計画を策定した。(1995年)
- 災害時の救援・復旧活動の拠点となる県の阪神南広域防災拠点が西宮市甲子園浜に完成した。(2008年)
- 尼崎市は、尼崎商工会議所・協同組合尼崎工業会・(株)日本政策金融公庫・尼崎信用金庫との間に、市内事業者の事業継承を支援する「尼崎市内における事業承継支援に関する連携協定」を締結した。(2018年)