今日は何の日(5月26日)

出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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  • 守部広田社神郷田の作人が封戸の負担を拒否するとの広田社の訴えに対し、国司の入勘および国役賦課を停止した国司庁宣によってその封戸を支配するようとの宣旨が同社に下された。(1200年
  • 青山幸利は、丹後国宮津藩京極高国の所領没収を伝える上使として尼崎を出発した。(1666年
  • 尼崎浦漁民が、鳴尾村の丸島開発願いは武庫川尻漁場の妨げになると、尼崎藩の郡代に訴えた(尼崎浦・鳴尾浦漁場境界争論)。(1758年
  • 尼崎藩は、尼崎猪牙船の打瀬網漁を向こう10年間、年間8か月を限って免許した。(1837年
  • 尼崎銀行本咲利一郎らによって資本金10万円で東町に設立された。(1889年
  • 尼崎町長小森純一が当選した。(1896年
  • 園西尋常小学校が園田第一尋常小学校と改称した(現市立園田小学校)。(1900年
  • 大物機械製壜大日本麦酒に買収併合された。(1911年
  • 金井トラベラー製造所が金井重要工業と改称した。(1943年
  • 尼崎市立(旧組合立)伝染病院の仁川病院の閉鎖が決まった。(1959年
  • 神戸地方裁判所尼崎支部の阪神高速道路大阪西宮線工事差し止め請求却下に対して、住民側は大阪高等裁判所に抗告した(国道43号線道路公害訴訟)。(1973年
  • 尼崎市が市民とともに策定した、園田地区の猪名川・藻川に囲まれた地域の自然や歴史・文化を守り活かしていく「自然と文化の森構想」を推進する市民組織として、自然と文化の森協会が設立された。(2002年
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