今日は何の日(6月15日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 東大寺の関雑掌僧である智文は、兵庫・一洲・渡辺の関所では離宮八幡宮の荏胡麻等について目銭を徴収しないとの請文を出した。(1315年)
- 大井組・三平井組は、寛政2年以来の水論について、藻川沿い村々を含む3者で和融の証文を取りかわした(三平井組・大井組水論)。(1794年)
- 老中水野忠邦は、江戸・大坂周辺の大名飛び地・旗本知行所の公収を目的とする上知令を発した。(1842年)
- この年の2月に起こった西南戦争の死傷者救護のため組織された博愛社(日本赤十字社の前身)創立に加わった桜井忠興が、博愛社事務所として東京麹町富士見町の屋敷を提供し、資金一千円を寄付した。(1877年)
- 大谷重工尼崎工場の朝鮮人グループ7人(協和訓練隊特別青年会のメンバー)が民族独立運動を組織したとして、治安維持法違犯容疑により検挙された。(1944年)
- 第四次大阪大空襲のこの日午前中、B29爆撃機による焼夷弾空襲により尼崎市内で死者64人、全焼7,184戸、浜国民学校全焼、住友金属工業プロペラ製造所もかなりの部分が被災焼失するなど市内各所に被害があった。(1945年)
- 安保批准阻止・岸内閣打倒・国会解散・アイク訪日反対尼崎大会が開かれ、会場の昭和中学校(現中央中学校)に向けて市内5か所から約1万3,000人が求心デモを行なったと報じられた(安保闘争)。(1960年)
- 尼崎商工会議所が『尼崎商工会議所八〇年史』を刊行した。(1992年)
- 尼崎市が、国の「ふるさと雇用再生特別交付金」を原資として、(株)JTB西日本に委託して観光情報を発信する3か年の「あまかん」事業がスタートした。 (2009年)