今日は何の日(6月26日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 久我豊通は、大島荘本所分を池田正盛に売り渡した旨を大島荘の名主百姓に告げた。(1486年)
- 尼崎の馬借は、伊丹・昆陽・小浜など7か所の馬借とともに猪名川通船の願い出に対して、馬借の稼ぎがなくなると幕府奉行所へ反対の訴願をした。(1682年)
- 尼崎市会は尼崎港内埋立地への日本石油の石油タンク設置反対意見書を知事に提出した。(1934年)
- この日の午前中、杭瀬・城内などにB29爆撃機による爆弾空襲の被害があり、尼崎市内の死者は36人であった。(1945年)
- 3月に始まった大谷重工争議は、解決金450万円の支給、労働組合幹部20人の解雇を組合側が受け入れる形で終結した。(1950年)
- 国の公害等調整委員会において、尼崎大気汚染公害訴訟の大阪高等裁判所での和解条項履行を巡る斡旋が初めて成立した。(2003年)
- 尼崎市は、2025年に向けてめざす都市像を示した尼崎市総合基本計画「にぎわい・創生・あまがさき」策定の1990年当時と比較して、大きく社会情勢が変化しているとして、新たに平成25~34年度のまちづくり構想と基本計画を定める第5次尼崎市総合計画を「ひと咲きまち咲きあまがさき」をキャッチフレーズとして策定し、この日、市議会の議決を得て公表した。(2012年)