今日は何の日(7月24日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 太田頼助は河尻において鎮西からの平家の粮米を押し取り、河尻の人家を焼払うなどした。(1183年)
- 播磨国一乗寺へ向かう叡尊が、淀津から海崎(尼崎)に着いた。(1285年)
- 難波浦で津浪が起こり、数百人の海人が溺死した。(1361年)
- 穴太村は、用水が不足した時の夜間に限って下食満村の悪水をせき止めて水を引くと、下食満村に証文を入れた。(1619年)
- 大風のため道意新田の堤が切れた。この時尼崎藩からのお救い扶持と地親の扶持米が支給された。(1686年)
- 細川高国が東大寺領長洲荘の野地・前田を安堵した。(1508年)
- 尼崎藩は領分全域の村々から日に3,500人の人足を出させて武庫川西昆陽村・常吉村堤の普請を開始した。(1712年)
- 川辺馬車鉄道の長洲-尼崎間が開通した。(1891年)
- 園田村長に中村龍太郎が就任した。(1923年)
- 村野藤吾設計の大庄村役場新庁舎上棟式が行なわれた。(1937年)
- 大阪湾フェニックス計画埋立事業の一部完了にともなう埋立地「船出」の区域編入告示により、市域が50.20km2となり、50km2を超えた。(2012年)