今日は何の日(7月8日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
8 件中 1 - 8 件目
- このころ、大島郷・雀部郷・浜田郷は河内国通法寺領であった。(1207年)
- 北朝の後光厳天皇が、野間田その他の醍醐寺蓮蔵院・報恩院領を安堵した。(1368年)
- 上之島組大庄屋岡村十左衛門は、銀札の発行を尼崎藩に願い出て許された。(1753年)
- 浜新田の総百姓は、西新田村からの分村を藩に願い出た。(1834年)
- 尼崎藩は、将軍家の上野御霊屋普請手伝い入用銀を大坂商人から借用し、返済のための御用銀上納を領内へ高掛りで申し付けた。(1842年)
- 尼崎藩は大庄屋を何組何箇村取締里正、庄屋を里正、年寄を村吏と改称した。(1871年)
- 地元の自由党員20余名の発起により、菊池侃二・横田虎彦を招待して桜井座で演説会が開かれた。出席者数十人、傍聴者千数百人と記録されている。(1892年)
- 尼崎市公設地方卸売市場の平成19年度じん芥搬送等業務委託契約における偽計業務妨害事件に起因する尼崎市および受注業者に対する損害賠償請求訴訟の控訴を大阪高等裁判所が棄却した。これに対して被告側は控訴せず、被告に損害賠償を命じる2010年12月21日付神戸地方裁判所尼崎支部第1審判決が確定した。(2011年)