今日は何の日(8月26日)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
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- 幕府は、杭瀬荘・猪名荘など先に地頭を補任した東大寺領荘園を同寺に返付するよう六波羅に命じた。(1312年)
- 尼崎藩は、生島井組との争論に敗訴した武庫井組の3か村の庄屋を生きはりつけにしてさらした。(1647年)
- 尼崎市内でコレラ患者が発生し、同年中の死者45人を数えた。(1916年)
- 尼崎市は全市民対象の廉売を中止し、廉価購買券・原価購買券を発行した。(1918年)
- 兵庫県その他関西地方の共産党員が一斉検挙された。(1931年)
- 尼崎市は、尼崎尋常高等小学校において、日中戦争開戦後初の市葬を執り行ない戦死者2人を追悼した。1937年中の本籍者及び市内居住(寄留)者の戦死・戦病死者は計32人にのぼった。(1937年)
- 全日本産業別労働組合会議尼崎地区会議が結成された。(1947年)
- 日本電気産業労働組合協議会(電産)尼崎東発電所、尼崎第1・第2発電所各分会の労働者計60人に対してレッド・パージによる辞職が勧告され、全員が拒否した(電産争議)。(1950年)
- 森永ドライミルク中毒患者が尼崎市内で合計51人に達した。(1955年)
- 尼崎市は、令和7年度末(2026年3月末)までを期間とし、エネルギーの地産地消促進を協働で実施する連携協定を、NTTグループ及び尼崎信用金庫との間に締結した。(2020年)
- 尼崎市は、兵庫県弁護士会との間に兵庫県内初の「災害時等における連携協力に関する協定」(災害時生活再建の法律相談等の実施)を、また株式会社関電パワーテックとの間に全国初の「災害発生時等の空気発電池等の供給に関する協定」を締結した。(2021年)