猪名寺
いなでら
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
園田地区の大字。市域北東部、猪名川と藻川の分岐点の西岸に位置する。真浄坊遺跡があり、また南清水にかけて弥生後期~奈良時代の中ノ田遺跡がある。古代の渡来氏族である猪名部の居住する猪名県があったことから、古代にはこのあたり一帯を為奈郷と呼んだ。古代寺院である猪名寺廃寺跡がある。為奈(猪名)の地に寺院が建てられたことから、猪名寺が地名となったのであろう。奈良時代には、僧行基が身寄りのない子供や老人を収容する猪名寺給孤独園を建てた。史料上の初見は、そのことを記した1316年(正和5)「行基菩薩行状絵伝」(『尼崎市史』第11巻)である。
近世前半は幕府領または大坂定番領で、1746年(延享3)田安徳川氏の領地となった。ほかに成立年不詳の幕府領の流作地があった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に432.323石、「元禄郷帳」に422.32石、「天保郷帳」に427.07石とある。また、1710年(宝永7)「村明細書」(『尼崎市史』第5巻)には家数83軒、人数407人とある。猪名寺井組・三平井組に属した。氏神は伊丹町にあった猪名野神社、寺院は真言宗法園寺、浄土真宗本願寺派法光寺。
1889年(明治22)以降は園田村、1947年(昭和22)以降は尼崎市の大字となった。1987年・1991年(平成3)の住居表示により猪名寺となったほか、一部が塚口本町・南清水・食満〔けま〕となった。