猪名川通船

いながわつうせん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  底が平で浅く造られていた川船を高瀬船といい、高瀬川を経て京都大阪間の輸送に使われたことからこの名がある。市域に関連した高瀬通船として、伊丹から神崎にいたる猪名川通船がある。これは、池田・伊丹方面から神崎・尼崎まで陸路牛馬で輸送していた酒・米などの荷物に舟運を利用することが、江戸時代はやくから望まれていたが、陸上運送業者(馬借)や沿岸農村の反対で実現しなかったが、1784年(天明4)にいたって伊丹の領主近衛家や幕府の許可を得て実現したもので、伊丹の下河原村から戸之内もしくは神崎まで10石積みの船が通ることになり明治にいたった。1869年(明治2)の史料によれば「猪名川筋弐拾五艘組」と称し、その25株の高瀬船株は猪名川神崎川に沿った村々に1株ずつ配当し、1株について一定金額を村々に納めた。

執筆者: 山崎隆三

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