猪名部

いなべ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  木工技術をもって朝廷に仕えた渡来人の部。「日本書紀」の応神天皇31年8月条に、武庫水門に宿った新羅〔しらぎ〕の使の失火によって多くの船が焼けたことを聞いた新羅の王が、驚き恐れて「能〔よ〕き匠者〔たくみ〕」を貢上したが、これが猪名部の始祖であるとみえる。新羅から渡来した木工らは、恐らく猪名川の下流域に居住させられたため、猪名部と名づけられたのであろう。「新撰姓氏録」の摂津国諸蕃の項に、百済国の人、中津波手〔なかつはて〕の子孫の為奈部首〔いなべのおびと〕の記載がみられるが、猪名部を管理する伴造〔とものみやつこ〕と思われる。猪名部は摂津国のほかに伊勢・越前・出雲などにも分布しており、摂津国から分散、移住させられたと推測される。各地の猪名部を中央で管理したのが猪名部造で、「姓氏録」の左京神別の項によると物部氏の同族とされている。

執筆者: 長山泰孝

参考文献

  • 『伊丹市史』第1巻 1971
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