琴浦育児院
ことうらいくじいん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
1896年(明治29)4月、伊勢壮一が尼崎町1807番屋敷(現中在家町3丁目)に設立した孤児収容施設の愛親舎を、尼崎で煉炭製造・売薬業を営んでいた福島守三郎が1900年4月から引き継ぎ、8月に琴浦育児院と改称した。同年10月2日には、孤児の後見人として福島が県の指定を受けている。1902年2月には尼崎町1486番屋敷(現築地本町4丁目)に移転し、のち無住となっていた寺町の栖賢寺を修繕して使用していた。経営にあたって福島は広く各地に賛助会員の寄付を募り、そこには福島が事業を引き継いだ当初から金品の寄付を行なっていた小森純一をはじめ、多くの資産家が名をつらねた。会員数は1908年には2,382人の多数にのぼっている。同年福島院長以下17人の職員で、男子49人・女子20人の孤児を収容し、学齢のものは通学させ、小学校を卒業したものには職業教育を施した。1911年に福島が死亡したため奥沢信幸が、さらに1916年(大正5)9月以降は中馬興丸が後見人となったが、1931~1935年(昭和6~10)の間に廃止されたようである。公共の社会福祉施設がほとんど皆無であった当時において、その先駆的な意義は大きい。