瓦宮
かわらのみや
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
園田地区の大字。市域北東部、藻川の西岸に位置する。地名の由来は古代氏族の川原公が居住したことによるとされている。史料上の初見は1605年「慶長十年摂津国絵図」で川原宮村と記されている。
近世初期には幕府領または大坂城代領、1694年(元禄7)武蔵国忍藩阿部氏(忠吉系)の領地となり、1823年(文政6)幕府領となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に229.59石、「元禄郷帳」「天保郷帳」に225.89石とある。大井組に属した。氏神は皇産霊〔すめみむすび〕神社。
1889年(明治22)以降は園田村、1947年(昭和22)以降は尼崎市の大字となった。1988年の住居表示により瓦宮となったほか、一部が東園田町・食満〔けま〕・口田中となった。