市域中心部、庄下川の上流地域を指す地名。史料上の初見は「日本逸史」天長7年(830)2月18日条(『尼崎市史』第4巻)で生島勅旨田とある。中世には生島荘が開発されたほか、橘御園の荘域でもあったようである。
近世には1615年(元和元)建部政長の領地となり、1617年の戸田氏鉄入部以降は尼崎藩領であった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に1,813.4石とある。1635年(寛永12)青山氏(幸成系)が入封した際に生島村の村切りが行なわれ、上之島・栗山・大西・三反田の4村に分かれたものと考えられる。
執筆者: 地域研究史料館
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