生島井組
いくしまゆぐみ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
生島井を利用する常松村と生島4か村(上之島・栗山・大西・三反田)の井組。常松村は、中世末~元和以前の近世初頭、西昆陽村に交渉して同村地内に井路を掘り、3反余の田地を替え地として渡した。尼崎藩戸田氏の時代、1617年~1635年(元和3~寛永12)に生島4か村が井路の普請一切を負担し、毎年米3斗を常松村に渡すことで仲間に加わった。井組結成のあとも取樋口から遠い生島4か村までの水路は整備されておらず、あぜ溝伝いや田越しの流水であったが、1654年(承応3)常松村から常吉村まで、さらに生島4か村にいたる溝の幅を広げる普請が行なわれ、井組としての本格的な用水の利用が始まった。この普請の結果、常松村の田地9畝23歩余の年貢が引き捨てになった。