生島井組の井親争論
いくしまゆぐみのゆおやそうろん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
生島井は、はじめ常松村1村の用水路であって、生島4か村はあとから加わって井組が結成された。古い時期に成立した井組では井親の権限は絶大であるが、1617~1635年(元和3~寛永12)と比較的新しい時期に成立した生島井組では、村々間の対等性が強く、常松村を井親とする決め手にも欠け、常松村と生島4か村の間でどちらが井親であるか、くりかえし争うこととなった。1761年(宝暦11)の争いは一旦取り替わせがおこなわれたが、1768年(明和5)に再燃した。生島4か村が毎年渡す米3斗が井料であるとする常松村と、急水時の知らせ料であると主張する生島4か村が対立したが、宝暦の争いで井親・井子関係が明確にされなかったために起きた争いであった。このあと1790年(寛政2)、1834年(天保5)と生島井組内ではさまざまな形で幕末まで争いが続いたが、結局は井親権の取り合いであった。