生津
なまづ
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
武庫地区の大字。市域北西部に位置する。史料上の初見は1605年「慶長十年摂津国絵図」でナマツ田村とある。
近世初期には幕府領、1617年(元和3)尼崎藩領となった。村高は「慶長十年摂津国絵図」「元禄郷帳」に267.58石、「天保郷帳」に268.097石とある。また、天和・貞享年間(1681~1688)「尼崎領内高・家数・人数・船数等覚」(『地域史研究』第10巻第3号)には家数26軒、人数159人、1788年「天明八年御巡見様御通行御用之留帳」(『地域史研究』第1巻第2号・第3号)には15軒、68人とある。武庫井組に属した。氏神は磐長姫〔いわながひめ〕神社(近世には大将軍社)。ほかに住吉4社があったが、住吉社は1907年(明治40)磐長姫神社に合祀された。
1889年(明治22)以降は武庫村、1942年(昭和17)以降は尼崎市の大字となった。1965~1977年の住居表示により武庫之荘西および、武庫之荘・南武庫之荘の一部となり、生津という地名は消滅した。