尼崎では大正~昭和初期の工業化の進展にともない動脈としての道路整備の遅れが指摘され、1926年(昭和元)の阪神国道(国道2号)開通ののちも、東西および南北の道路整備が都市計画上の課題としてあげられていた。1931年12月県の失業救済事業として県道伊丹-尼崎線新設工事(幅員5間)が実施され、1933年7月完成した。これにともない、従来伊丹市植松から塚口を経て長洲に連絡していた宝塚有馬自動車の尼崎線が、路線を変更して同県道経由となった。産業道路は通称、現正式名称は主要地方道尼崎・池田線。
執筆者: 地域研究史料館