田中
たなか
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
園田地区の大字。市域北東部に位置する。史料上の初見は1304年(嘉元2)「浄土寺殿寄進米上日記」(勝尾寺文書/『尼崎市史』第4巻)。橘御園の荘域に属した。
近世を通じて領主がめまぐるしく交替し、幕府領もしくは主として大坂城代領・京都所司代領であった。村高は「慶長十年摂津国絵図」に202.679石、「元禄郷帳」「天保郷帳」に202.68石とある。三平井組と大井組に属した。氏神は瓦宮の皇産霊〔すめみむすび〕神社、寺院は浄土真宗本願寺派西蓮寺。
1873年(明治6)川辺郡内の同名村(現三田市)と区別するため口田中と改称、1889年以降は園田村、1947年(昭和22)以降は尼崎市の大字となった。1988・1991年(平成3)の住居表示により口田中となったほか、一部が御園〔みその〕・南清水・瓦宮・若王寺〔なこうじ〕・塚口本町となった。