天保年間(1830~1844)に始まり、毎年の秋祭りに観音堂で奉納されてきた。当村の舞い方は、頭を使う者とユタン(胴の部分)に入る者との二人立ちで、獅子一つで舞った。舞い方は下河原村(現伊丹市)から教わり、若王寺村に伝えたという。舞い人は14人からなり、別に笛4人、太鼓1人、猿・天狗などの役(口取り)が4人いた。舞い方は「悪魔祓い」「玉獅子」など8種、唄・はやし言葉はなかった。1950年(昭和25)以降中絶ののち1969年に復活したが、サラリーマンには練習・本祭りの時間的負担が大きく、1973年に解散。
執筆者: 地域研究史料館