田能遺跡
田能6丁目、猪名川が藻川と分流する地点の南東側標高6mのところにある。尼崎・西宮・伊丹3市共同工業用水道園田配水場の工事過程で1965年(昭和40)9月に発見され、翌1966年9月まで1年のあいだに約4,400m3が発掘調査された。弥生墓棺・銅剣鋳型は近畿地方で初めての発見であった。弥生時代前期から古墳時代初頭にかけての大集落遺跡であるが、弥生後期の集落址、弥生中期の高床式を主とする集落址と弥生中・後期の墓棺面を調査し、これらの遺構を保存するために、下層の弥生前期遺構は一部を除いて発掘していない。墓棺は箱式木棺墓10基・木蓋有桟式土壙墓4基・土器棺墓4基(甕棺1、壺棺3)で、幅・深さとも1m、一辺10mの方形周溝墓群の形成されていた。とくに弥生中期の第16号墓からは632個の碧玉〔へきぎょく〕管玉が出土し、第17号墓の人骨は白銅製釧〔くしろ〕を左腕につけ、硫化水銀朱に包まれて他の一族墓とは異なる大型木棺に葬られていた。第16・17号墓は大型区画内(方形周溝墓の一形式)から検出され、この集落の首長墓と考えられる。自然遺物としては炭化米が多量に出土したほか、植物の栽培種、木質遺物、動物遺体などが多数みられた。住居址は弥生中期前半に円形竪穴住居が存在したが、無数の柱穴跡が示すように高床式住居に移行したと推定される。集落内には、柱穴のほかに土坑、溝が大小多数遺存していた。弥生中期の土坑内からは銅剣鋳型の破片が検出された。中細A形式の銅剣のもので、類型銅剣は福岡県春日市須玖遺跡で出土している。他に銅・骨・石製鏃〔やじり〕、板状鉄製品、鉄滓〔てつかす〕、勾玉〔まがたま〕、碧玉原石、ガラス小玉、有樋式・鉄剣型石剣、大形・小形の石斧〔いしおの〕、石・鹿角製紡錘車、石錘〔おもり〕、石槍〔やり〕、石錐〔きり〕、不定形刃器、砥石〔といし〕、大量の石包丁などが出土。木製品には板材・角材・砧〔きぬた〕・スコップ状木器・杓子・弓・竹籠などがある。弥生前期・中期・後期および庄内式にいたる各種各形式の土器が大量に出土し、器形の面でも種類が豊富である。弥生時代全期を通じての猪名川水系の拠点集落遺跡である。1969年6月30日に国史跡に指定され、遺跡地には市立田能資料館が設置されている。
参考文献
- 村川行弘『田能』 1967 学生社
- 『田能遺跡発掘調査報告書』尼崎市文化財調査報告15 1982