国鉄東海道本線南側、東は常光寺から西は庄下川に至る区域の197.3haを対象に、公共団体(市)により1939年度(昭和14)から1954年度まで施行された。事業費は7,500万円。事業名称の省線以南は、現在のJR東海道本線以南を意味する。当時、省線神崎駅(現尼崎駅)南は住工混在の乱開発が進行しつつあったため、戦時下に都市基盤整備の急施を要するとして実施された。戦中戦後の混乱が建物の移転と工事の施工を妨げ、1955年3月の換地処分(事業収束)も移転と工事の大部分を残したままであった。戦後、JR尼崎駅前が長期間にわたって開発されなかった原因の一端は、こうした事業収束の実態にあった。
執筆者: 枝川初重
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