真浄坊遺跡
しんじょうぼういせき
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
市の北東部、猪名寺1丁目、猪名川の分流である藻川の西岸の沖積地、標高約7mに立地する。1987年(昭和62)9月の集合住宅建設にともなう事前調査で初めて確認された遺跡である。「真浄坊」という字名と、すぐ北方に白鳳時代の創建になる猪名寺廃寺跡があることから、古代から中世にかけての遺跡の存在が考えられたが、調査では、北東から南西に向かって走る、幅4m・深さ40cmを測る溝状の自然流路が見出されたのみであった。埋土中に、弥生時代後期の土器が確認された。土器は、北方の遺跡から流出したものと考えられるが、その遺跡を特定することはできない。ただ、1958年(昭和33)に猪名寺廃寺跡が発掘調査された際、下層で弥生時代の包含層及び竪穴住居遺構の一部が確認されているので、この遺跡との関連が考えられる。