石屋の石造文化圏

いしやのせきぞうぶんかけん
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』

  各地の石造美術(石造遺品)を精密に調査して、同じ石工または同系の石工の作品を抽出し、それらの作品の分布している地方を総称して石造文化圏という。中世に優れた石工が各地に散在して経済的に自立できたとは考えがたいので、石工は良質の石材の産地に定住し、注文に応じて製作した作品を各地に搬出したと考えるべきである。

  西摂六甲山の基盤は花崗岩〔かこうがん〕であるが、御影石〔みかげいし〕と称される良質の花崗岩の産石地は六甲山の南腹、とりわけ住吉川の上流だけで、ここで切り出した原石を海岸の石屋(現神戸市東灘区御影町)へ運び、整形した石材を各地に搬出していた。とくに鎌倉時代の中期に入り、石造美術の製作が盛んになったとき、大和国の伊派〔いのは〕の石工が来住または出張して製作した遺品が地元の摂津を中心として22か国に分布している。南は紀伊の全域、東は和泉・河内と山城の一部、北は丹波・但馬、西は播磨・美作・備前・備中・備後・安芸・長門・淡路・阿波・讃岐・伊予・筑前・日向・肥後のほか、遠く飛び離れて対馬にも達している。この伊派の石工が御影石を素材として製作した石造美術の分布地域を石屋の石造文化圏と呼ぶ。中世の石造文化圏として最大で他に比肩するものがない。

執筆者: 田岡香逸

参考文献

  • 田岡香逸「西摂石屋の石造文化圏とその石大工(1)~(3)」『地域史研究』第10巻第2号・第3号・第11巻第1号 1981

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