石山本願寺を拠点とする本願寺勢力と織田信長の戦いは、1570年(元亀元)に本願寺が三好三人衆と同盟して挙兵してから1580年(天正8)に顕如が石山本願寺を明け渡すまで10年にわたった。その間の1576年(天正4)7月、信長との対決に踏み切った毛利氏は、海上から石山本願寺に兵糧を搬入するため小早川隆景の兵船を主力とする900艘の大軍を送った。信長は、住吉・尼崎・華熊に水軍を配して備えたが、小早川の水軍のために尼崎沖を固めていた小畑水軍が危うくなったので、信長はさらに九鬼嘉隆の水軍を加えて応戦した。こうして、木津川口から尼崎沖にかけては信長方水軍対本願寺方水軍の大海戦場となった。
執筆者: 山下幸子