石山本願寺(浄土真宗)
いしやまほんがんじ(じょうどしんしゅう)
出典: Web版尼崎地域史事典『apedia』
戦国時代、摂津国東成郡生玉荘内に建立された浄土真宗(一向宗)大坂坊舎。後に秀吉が大坂城を築く要害の地にあり、1496年(明応5)蓮如がこの地に寺庵を建立したことにはじまる。1532年(天文元)8月、京都山科本願寺が破却されると、当時の宗主証如がここに移り、本願寺として寺内町の建設を進めていった。寺内町6町の周囲に土居・濠をめぐらした構造で、住民はいずれも本願寺教団につながる一向宗信徒で、商人や手工業者が多かった。町々には町衆から選ばれた年寄・宿老・若衆がいて自治的な運営にあたり、最盛期には2,000軒にも及んでいる。本願寺の御堂に奉仕する者や寺内町の警護に当たり軍事力を担った番衆には全国各地からの信徒が従事しており、畿内、北陸、東海(三河中心)の門徒は本国が攻撃を受けて危機に陥ると帰国して防衛に当たるなど、軍団に組織されていた。天下統一をめざす織田信長と対立し10年間抗戦したが、1580年(天正8)ついに敗北し、堂舎は焼亡した。